自らがキレイな肌に、そして自らが動く広告塔に
島野孝子日本免疫美容協会理事長の場合
美容室にしてもエステサロンにしても、そこはある意味お客様に「夢」を売る場である。お客様は、キレイになりたいと願って店の扉を開ける。
だから、お店の中は「夢空間」であってほしい。内装、設備、備品も夢空間を演出する重要なファクターだが、なんと言っても一番重要なのは、そこにいる技術者である。
お店のオーナー自らがキレイに大変身して、お客様から「私も!」と言わしめ、大成功したカリスマ・エステティシャンがいる。NPO法人日本免疫美容協会で理事長をつとめる島野孝子さん、その人だ。
離婚後、小資本で独立できるエステティシャンの道を選んだ島野さん、片田舎にフェイシャル専用のエステティックサロンを開業したものの経営は困難を極めた。
いろいろなメーカーの機器や化粧品を取り入れ、お客様に施術していたが、ある日、常連のお客様から「施術中はすごく気持ちいいけどキレイにならない‥、彼からだまされているのでは?と言われた」と聞かされ、島野さん「ものすごいショックを受けました」。
それまでも自らがキレイになる努力をしていた島野さんだが、お客様の言葉を聞いて、その努力に拍車がかかった。
肌に有効成分が浸透し‥、という美容メーカーの宣伝を信じ切っていた島野さん、美容液を機械で浸透させる、という講習に参加した。
何事にも積極的な島野さんである。自らがモデルになったのだが、翌日大変なことに。顔がパンパンに腫れ上がり、日を追うごとに肌はどす黒くシワシワに。結局、2ヶ月間皮膚科通いをする羽目になった。
しかし、その経験が免疫美容と出会うきっかけになった。 「以前、受講したことのある『肌の免疫』のことを思い出したのです。わらにもすがる思いでした」と島野さんは、再度その「肌の免疫」の講習を受けることにした。 免疫美容は、肌本来が持っている免疫機能をはたらかせることで、健康で美しい肌を保つ美容法である。肌には余計なものは入れない、のが基本だ。
「講師の方から『とんでもないことをしましたね』と言われました」と島野さんは当時を思い出す。
この受講をきっかけに、免疫美容による対処法を学び、島野さんの免疫美容を実践する日々がはじまった。
免疫美容を実践して数日すると、美容液を入れた頬のあたりから黄色いリンパ液が出てきた。
「正直、内心不安でした」と島野さんは当時を振り返る。
しかし、2ヶ月もすると、どす黒かった肌は透明感のある肌によみがえったのだ。
島野さんの変わりようは、周りの人たちやお客様も目にしている。どす黒く腫れ上がった顔をしたエステの先生では、当然のことながら、誰一人として施術を受けに来る人はいない。
しかし、透明感のあるキレイな肌によみがえったとたん、「先生、どうしてそんなにキレイになったの? 私もやりたい!」と、手のひらを返すように昔からのなじみ客が訪れた。
そして、免疫美容でキレイになったお客様を見て、その友人らが押し寄せるようになったのだ。
まさに店の先生、スタッフは動く広告塔といえる。紺屋の白袴では、客が敬遠するのは当たり前。美容室、エステティックサロンという夢空間で、そこにいるスタッフはお客様に夢を与えてほしい。
島野さんは、いま自ら経験して習得した免疫美容の第一人者として、免疫美容の普及に邁進している。
最後に、島野さんの「肌が大変なこと」になった50歳当時の写真と、今の写真(2010年撮影)を紹介しよう。
「17年前と比べると、今の方がとても若々しい肌をしている」と、なじみのお客様から言われる島野さんだ。
実際、とても60も半ば過ぎには見えない色つやをしている。
![]() |
【左・「肌が大変な状態に」(当時50歳)。右・2010年撮影】 |